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デモは誰にでも平等ではない?

つぶやき

格付け大手のフィッチ・レーティングスがフランスの国債の格付けをAA-からA+に一段階引き下げました。

これは先日の内閣信任投票が否決され、フランス国内の政治が安定していないことが要因の一つにあげられます。

先日10日も左派主導のマクロン体制に異議を唱える「Bloquons tout !(全て封鎖せよ!)」というデモが行われました。

私はマクロン大統領を完全に支持しているわけではないですが、彼はリーダーシップに優れていると思うし、彼の政策もそんなに間違っていないと思います。

富裕層に少し寄っているのは残念ですが、少なくとも彼が考えている政策を実行してから結果を待つべきじゃないのかなとも思います。

そこでふと思ったんです。

こんな状況でマクロンさんはさぞかしストレスを抱えているだろう…もしマクロンさんを擁護するようなデモがあれば彼を勇気づけることができるんじゃないか?

でもすぐ思い直しました。
現状、フランス国内ではマクロン大統領を支持しない層の方が多く、もし少数派のマクロン支持派がデモを行えば、不支持派による暴力もあり得る。

デモをする権利はあるけど、実際は危険すぎてできない。



結局、デモというのはみんなに平等にデモをする権利が開かれているようで実は多数派しか出来ないことだと思います。

ゲイプライドというデモがありますが、あれは今日において大多数の人に受け入れられているから出来ることであって、1950年代ならまず安全には実施できなかったでしょう。

その時代、その時の大多数の承認がなければ、権利としてはできるのかもしれないけど、身の安全を考えれば出来ない。

デモができるというだけで恵まれていると言えるのかもしれません。本当の少数派の声はデモという形にはならないのだと思います。

あなたはどう思いますか?コメント・メッセージをお待ちしております⭐︎

今日の曲はInsolenceで「Poison Well」です。

高校の時に自分のバンドでカバーしてたくらい大好きなバンドです。

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