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星新一の「月の光」を読んで~愛に言葉は必要ないのか~

考えごと

星新一の月の光を読んで考えたこと。
ネタバレありです。
ネタバレなしの読書メモはこちら↓

(新潮文庫「ボッコちゃん」に収録されています)

「月の光」要約

「月の光」は、おじさんが少女をペットとして飼っている話。
少女が生まれてすぐに引き取って、言葉を教えずに育てた。

しかしある日、おじさんは病気で重体になってしまう。
召使いがおじさんの代わりに餌を与えようとするが、いつもはおじさんが直接与えていたために、少女は食べようとしない。
召使いが話す言葉も理解できずただ怯えるだけ。

そしておじさんは帰らぬ人になった。
それと同時に少女も亡くなってしまった。

感想

甘美で感傷的な文体で、一瞬素敵な話のように思う。
なんならちょっと悲しい話だと思う人もいるかも知れない。
でも読み終わった後、私は全くそうは思わなかった。
なんだこの変態おじさんは?これが私の最初の感想だ。笑

少女が15歳、おじさんが60歳。
45歳のときに少女を引き取って、遊びは一切断って一途に少女の世話を続けてきたと言うおじさん、しかもペットとして。
その甲斐あって、今現在の美しい少女との時間があるのらしい。

そして愛に言葉は必要ないというおじさんの信念。

言葉など人間にはいらない。言葉がどれほど愛情を薄めているだろうか。人びとは言葉なくして得た愛情を、必ず言葉によって失っている。

星新一「月の光」ボッコちゃんに収録


ここで疑問が2つ浮かんだ。
1つ目は、この物語全体の文体がとても甘美で感傷的なのはなぜか?
2つ目は、人間に言葉は本当に必要ないのか?愛情は言葉なしで十分、むしろ言葉がない方が愛情として至高なのか?

この物語全体の文体がとても甘美で感傷的なのはなぜか?

先ほども述べたように、私の最初の感想は、なんだこの変態おじさんは?だ。
それにしては文体が美しすぎる。

表現の全てに透明感があって、みずみずしくてきらめいた世界のように思える。
最初、私は物語全体の変態性を隠すためにこんな美しい表現を使っているのだと思った。

しかしもしかしたら、これはおじさんから見た世界なのかもしれない。
おじさんから見たら、おじさんの変態具合はわからない。

おじさんから見た世界は、ただただ長年遊びを断ってまで尽くしてきた少女が美しく成長し、自分に安らぎを与えるという、まさしくこの文体通りの世界なのだきっと。

老人の召使いと、言葉を知らないペットの少女しかいないので誰にも文句を言われない。
しかし実際はおじさんのエゴの世界でしかない。

これも星新一が忍ばせた皮肉のひとつなのだろうか?

実際、私はこのおじさんから見た世界に入り込んでしまったようだ。
おじさんとペットの少女という異常な関係性よりも、次に考える、おじさんのことばに引っかかってしまった。

人間に言葉は本当に必要ないのか?

確かにおじさんの言い分もわかる。
言葉が愛情を邪魔することはある。言葉なくして得た愛情を、言葉によって失う時もある。

でもそれだからって言葉が必要ないのか?

実際、おじさんが少女に言葉を教えなかったせいで、おじさんが病院にいる間は召使いが少女と意思疎通ができず、少女はなにも食べず、おじさんと同じタイミングで亡くなってしまった。

もしおじさんが言葉を教えていたら、どうなるだろう?

もしかしたら少女はおじさんを心配して何も喉を通らなくなるかもしれない。
しかし言葉を持つということは、自分の考えを言語化したり他者と共有する可能性に結びつく。

もし少女が話すことができたら、おじさんにおとなしく飼われているだろうか?


結局どうなのかは分からない。

でも私は言葉に希望を持ちたいと思う。
言葉は人を傷つける。でも言葉は人を守るし喜ばせるし愛を伝える。

包丁みたいなものだ。
包丁は危ない。だけど包丁を使えば野菜を美しく切ったり、お肉を食べやすい形に切ったりできる。

愛情だと言って、包丁は危険だから使わせないのも一つの選択だ。
でもその選択によって、その他多くの可能性を取り上げることは果たして愛か?

愛に言葉は不要だと取り上げて、その他の可能性を奪い取るのは果たして愛なのだろうか?

たぶん信頼関係がないのだ。
信頼関係があれば、言葉によって傷つけたり傷つけられたりする可能性はあるけど、それでも言葉を交わして意思疎通ができる。

おじさんはそもそも少女と信頼関係を築くつもりはなかったのかもしれない。

意思疎通するために言葉を交わすということは相手から反発されたりする可能性もある。
おじさんはそのリスクは受け取らず、少女をペットとして、一方的に与えるだけの関係を選択した。
それゆえに言葉は必要なかったのだろう。

おじさんは愛に言葉は必要ないと言うけど、本当は、今のおじさんとペットの関係には言葉は邪魔な存在であって、それを愛だとすり替えているのではないか?
もしくはそれが愛だと思い込みたいのだろうか。

相手との信頼関係において愛があるなら、意思疎通が上手く行かない可能性も含めて受け入れるのが愛ではないか?

少なくとも私はそちらを選びたい。

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Fumiko@

40代
フランス・パリ郊外在住
クリエーター
美味しい夕ごはんを食べるために毎日生きています。
読書/思想・文化エッセイ

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